Debian 小史 --------------------------------------------------------------------- version: 13.5 (2025-05-13) --------------------------------------------------------------------- 製作著作 © 1999-2020 Debian Documentation Team < debian-doc@lists.debian.org> 製作著作 © 2023 Debian Publicity Team < debian-publicity@lists.debian.org> Debian Publicity Team     この文書は、加えた変更点を明確に記していれば自由に再配布、改変が できます。 この文書は有料、無料を問わず再配布できますし、改変 (別の種類のメ     ディア、ファイルフォーマットへの変換や別の言語への翻訳も含む) が できますが、原文からの変更点が明確に記されていることが条件です。     次の方によるこの文書への大きな貢献がありました。 * Javier Fernández-Sanguino * Bdale Garbee * Hartmut Koptein * Nils Lohner     * Will Lowe * Bill Mitchell * Ian Murdock * Martin Schulze * Craig Small 概要 この文書は、Debian プロジェクトの歴史と目標について述べます。 --------------------------------------------------------------------- 目次 1. 序文 -- Debian プロジェクトとは何か? 1.1. 起源 1.2. Debian の発音 2. プロジェクトリーダー 3. Debian リリース 4. 詳細な歴史 4.1. 0.x リリース 4.2. 初期の Debian パッケージシステム 4.3. 1.x リリース 4.4. 2.x リリース 4.5. 3.x リリース 4.6. 4.x リリース 4.7. 5.x リリース 4.8. 6.x リリース 4.9. 7.x リリース 4.10. 8.x リリース 4.11. 9.x リリース 4.12. 10.x リリース 4.13. 11.x リリース 5. 重要な出来事 5.1. 2000 年 10 月: パッケージプールの実装 5.2. 2002 年 11 月: Debian サーバ焼失 5.3. 2003 年 11 月: Debian サーバへのハッキング 6. 活躍され亡くなられた方々への哀悼を捧げます 6.1. 2000 年 7 月: Joel Klecker さん逝去 6.2. 2001 年 3 月: Christopher Rutter さん逝去 6.3. 2001 年 3 月: Fabrizio Polacco さん逝去 6.4. 2002 年 7 月: Martin Butterweck さん逝去 6.5. 2004 年 5 月: Manuel Estrada Sainz さん、Andrés García Solier さん逝去 6.6. 2005 年 7 月: Jens Schmalzing さん逝去 6.7. 2008 年 12 月: Thiemo Seufer さん逝去 6.8. 2009 年 7 月: Steve Greenland さん逝去 6.9. 2010 年 8 月: Frans Pop さん逝去 6.10. 2011 年 4 月: Adrian von Bidder さん逝去 6.11. 2013 年 5 月: Ray Dassen さん逝去 6.12. 2013年 6月 Paul Cupis さんが亡くなりました。 6.13. 2014 年 7 月: Peter Miller さん逝去 6.14. 2015 年 2 月: Clytie Siddall さん逝去 6.15. 2015 年 12 月: Ian Murdock さん逝去 6.16. 2016 年 9 月: Kristoffer H. Rose さん逝去 6.17. 2018 年 9 月: Innocent de Marchgi さん逝去 6.18. 2019 年 3 月: Lucy Wayland さん逝去 6.19. 2020 年 6 月: Robert Lemmen さん逝去 6.20. 2020 年 6 月: Karl Ramm さん逝去 6.21. 2021 年 1 月: Adam Conrad さん逝去 6.22. 2021 年 4 月: Rogério Theodoro de Brito さん逝去 6.23. 2023 年 9 月: Amraham Raji さん逝去 6.24. 2023 年 12 月: Gunnar Hjalmarsson さん逝去 6.25. 2024 年 7 月: Peter De Scrijver さん逝去 6.26. 2024 年 11 月: Jérémy Bobbio さん逝去 6.27. 2025 年 1 月: Steve Langasek さん逝去 7. 次は何? A. Debian 宣言 A.1. Debian Linux とは何か? A.2. なぜ Debian を作成するのか? A.3. Debian はこれらの問題に終止符を打つためにどのように努力する つもりなのか? 第1章序文 -- Debian プロジェクトとは何か? Debian プロジェクトは、フリーソフトウェアだけからなるオペレーティ ングシステムディストリビューションを作るために努力する、世界規模 のボランティアグループです。このプロジェクトの今までの主要な成果     物は、Debian GNU/Linux ソフトウェアディストリビューションです。こ れは Linux オペレーティングシステムカーネルと、何千ものパッケージ 化済みのアプリケーションを含みます。程度こそ違うもののさまざまな プロセッサタイプに対応しています。その中には32/64ビットの x386、 ARM、MIPS、PowerPC、IBM S/390 が含まれます。 Debian は Software in the Public Interest, Inc., (SPI) 設立の動機 となりました。SPI はニューヨークを本拠地とする非営利団体です。     Debian およびその他の同様の組織が、オープンハードウェアおよびソフ トウェアを開発するのを援助するために設立されました。とりわけ SPI は、Debian プロジェクトが米国で税控除可能な寄付を受け取れる仕組み を提供しています。 フリーソフトウェアについての詳細は、Debian 社会契約と、それに関連     する Debian フリーソフトウェアガイドラインや、フリーとは何だろう? のページを参照してください。 1.1. 起源 Debian プロジェクトは、公式には Ian Murdock さんによって 1993 年 8 月 16 日に創設されました。(告知の印刷をスキャンしたものもありま す)。当時は、Linux の「ディストリビューション」という概念自体が新     しいものでした。Ian さんは Debian を開かれた、Linux と GNU の精神 に則ったディストリビューションにしようとしました (詳細はこの文書 の付録として提供されている Ian さんの宣言を参照してください)。 Debian の創設にあたり、FSF の GNU プロジェクトによって 1 年間 (1994 年 11 月から 1995 年 11 月まで) 支援を受けました。 Debian は、注意深くそして良心的にまとめられるように、そして同様の 配慮で保守されサポートされるように意図されました。Debian はフリー     ソフトウェアハッカーの小さく緊密なグループとして始まり、しだいに 開発者およびユーザの大規模でよく組織化されたコミュニティへと成長 しました。 プロジェクトの開始当初、Debian はすべての開発者およびユーザに自ら の作業で貢献する方法が開かれている唯一のディストリビューションで した。現在でも Linux の重要な配布団体としては、唯一営利団体ではあ     りません。Debian はプロジェクトを組織するための憲章、社会契約そし てポリシー文書を持つ唯一の大プロジェクトです。Debian はまた、アッ プグレード時のシステムの整合性を保証するために、パッケージ間の関 係についての詳細な依存情報によって「細かくパッケージ化された」唯 一のディストリビューションでもあります。 高品質を達成して維持するために、Debian はソフトウェアをパッケージ     化して配布するための広範囲にわたるポリシーと手続き一式を採用しま した。これらの基準は、Debian の主要な要素すべてをオープンで目に見 える形で実装するツール、自動化、文書によって裏打ちされています。 1.2. Debian の発音 Debian の公式の発音は「デビアン (deb ee n)」です。この名前は、     Debian の創設者である Ian Murdock さんとその妻である Debra さんに 由来します。 第2章プロジェクトリーダー     Debian には 1993 年の創設以来、何人かのリーダーがいました。     Ian Murdock さんは Debian を 1993 年 8 月に創設し、1996 年 3 月ま でリーダーを務めました。     Bruce Perens さんは 1996 年 4 月から 1997 年 12 月まで Debian の リーダーを務めました。     Ian Jackson さんは 1998 年 1 月から 1998 年 12 月まで Debian のリ ーダーを務めました。     Wichert Akkerman さんは 1999 年 1 月から 2001 年 3 月まで Debian のリーダーを務めました。     Ben Collins さんは 2001 年 4 月から 2002 年 4 月まで Debian のリ ーダーを務めました。     Bdale Garbee さんは 2002 年 4 月から 2003 年 4 月まで Debian のリ ーダーを務めました。     Martin Michlmayr さんは 2003 年 3 月から 2005 年 3 月まで Debian のリーダーを務めました。     Branden Robinson さんは 2005 年 4 月から 2006 年 4 月まで Debian のリーダーを務めました。     Anthony Towns さんは 2006 年 4 月から 2007 年 4 月まで Debian の リーダーを務めました。     Sam Hocevar さんは 2007 年 4 月から 2008 年 4 月まで Debian のリ ーダーを務めました。     Steve McIntyre さんは 2008 年 4 月から 2010 年 4 月まで Debian の リーダーを務めました。     Stefano Zacchiroli さんは 2010 年 4 月から 2013 年 4 月まで Debian のリーダーを務めました。     Lucas Nussbaum さんは 2013 年 4 月から 2015 年 4 月まで Debian の リーダーを務めました。     Neil McGovern さんは 2015 年 4 月から 2016 年 4 月まで Debian の リーダーを務めました。     Mehdi Dogguy さんは 2016 年 4 月から 2017 年 4 月まで Debian のリ ーダーを務めました。     Chris Lamb さんは 2017 年 4 月から 2019 年 4 月まで Debian のリー ダーを務めました。     Sam Hartman さんは 2019 年 4 月から 2020 年 4 月まで Debian のリ ーダーを務めました。     Jonathan Carter さんは 2020 年 4 月から 2024 年 4 月まで Debian のリーダーを務めました。     Andreas Tille さんは 2024 年 4 月に選出され、現在のリーダーです。 第3章 Debian リリース     Debian 0.01 から 0.90 まで (1993 年 8 月 - 12 月) Debian 0.91 (1994 年 1 月): このリリースは、パッケージのインスト     ールおよび削除ができる単純なパッケージシステムを備えていました。 Debian プロジェクトは、この時点で数十人規模に成長していました。 Debian 0.93R5 (1995 年 3 月): この時点までに、各パッケージに対す     る責任が開発者に明確に割り当てられました。そして基本システムのイ ンストール後は、パッケージマネージャ (dpkg) がパッケージのインス トールに使われました。 Debian 0.93R6 (1995 年 11 月): dselect が登場しました。a.out バイ ナリ形式を使う最後の Debian リリースです。約 60 名の開発者がいま した。最初の master.debian.org サーバが Bdale Garbee さんによって     構築され、0.93R6 リリースと並行して HP によって運用されました。 Debian の開発者が各リリースを構築するための特定のマスターサーバを 設置することは、Debian のミラーネットワークの編成に直結しました。 また今日のプロジェクトを管理するのに使われているポリシーや手続き の多くを開発することにも間接的につながりました。 リリースされなかった Debian 1.0: CD ベンダの InfoMagic 社が、 Debian の開発版リリースを前ぶれもなく出荷し、1.0 と称しました。 1995 年 12 月 11 日、Debian と InfoMagic 社は共同で当該リリースが 誤ったものであると発表し、Bruce Perens さんは次のように説明しまし た。すなわち "Debian 1.0" として"InfoMagic Linux Developer's     Resource 5-CD Set November 1995" に収録されたデータは Debian の 1.0 リリースではなく、部分的に ELF 形式となっているだけの初期開発 版であること。そしておそらく起動せず、動作も不安定で、リリースさ れた Debian システムの品質を表わしてはいないことなどです。未熟な CD 版と実際の Debian リリースとの混乱を避けるため、Debian プロジ ェクトは次期リリースを "Debian 1.1" と改名しました。CD 上の未熟な Debian 1.0 は不完全であり、使うべきではありません。 1995 年の終わり頃、master.debian.org の運用が HP から i-Connect.Net に移りました。i-Connect.Net の創立者である Michael Neuffer さんと Shimon Shapiro さんが、master を自身のハードウェア     で 1 年余りにわたって運用しました。この期間、現在の新規メンテナプ ロセスに相当する機能を始めとして多数のサービスを Debian に提供し ていただき、また、初期の Debian ミラーネットワークの発展に多大な ご支援をいただきました。 Debian 1.1 Buzz (1996 年 6 月 17 日): コードネームがついた最初の Debian リリースです。これ以降の全リリースと同じく、映画 Toy Story シリーズ中のキャラクターに由来します... この場合は Buzz Lightyear     です。この頃には、Bruce Perens さんが Ian Murdock さんからプロジ ェクトリーダー職を引きついでおり、Bruce さんはこの映画を作った Pixar 社に勤めていました。このリリースは完全に ELF 形式で、Linux カーネル 2.0 を使っており、474 個のパッケージを収録していました。 Debian 1.2 Rex (1996 年 12 月 12 日): 映画 Toy Story に登場するプ     ラスチックの恐竜から名付けられました。120 人の開発者によって保守 される 848 個のパッケージから構成されていました。 Debian 1.3 Bo (1997 年 7 月 5 日): 女羊飼いである Bo Peep から名     付けられました。200 人の開発者によって保守される 974 個のパッケー ジから構成されていました。 Debian 2.0 Hamm (1998 年 7 月 24 日): 映画 Toy Story に登場する豚 の貯金箱から名付けられました。複数のアーキテクチャに対応した最初     の Debian リリースで、Motorola 68000 シリーズアーキテクチャ対応が 加わりました。Ian Jackson さんをプロジェクトリーダーとし、libc6 への移行を果たしました。そして 400 人以上の開発者による 1500 個以 上のパッケージから構成されていました。 Debian 2.1 Slink (1999 年 3 月 9 日): 映画に登場するこそこそした 犬から名付けられました。さらに 2 種類のアーキテクチャが追加されま した。Alpha と SPARC です。Wichert Akkerman さんをプロジェクトリ ーダとし、約 2250 個のパッケージから構成されていました。公式のセ     ットでは CD 2 枚を必要としました。主要な技術革新は、新しいパッケ ージ管理インターフェイスである apt の導入でした。apt は幅広く真似 されましたが、Debian が成長していくことから生じる問題に取り組み、 オープンソースオペレーティングシステム上でのパッケージの取得とイ ンストールに新しいパラダイムを確立しました。 Debian 2.2 Potato (2000 年 8 月 15 日): 映画 Toy Story に登場する 「Mr Potato Head」から名付けられました。PowerPC と ARM アーキテク     チャへの対応が追加されました。Wichert さんが引き続きプロジェクト リーダを務め、450 人以上の Debian 開発者によって保守される 2600 個以上のソースパッケージを元にした、3900 個以上のバイナリパッケー ジから構成されていました。 Debian 3.0 Woody (2002 年 7 月 19 日): 映画 Toy Story の主人公で あるカウボーイの「Woody」から名付けられました。さらに多くのアーキ テクチャ対応が追加されており、その内訳は IA-64, HP PA-RISC, MIPS (ビッグエンディアン), MIPS (リトルエンディアン)、S/390 などです。     また、米国内で緩和された輸出制限のために暗号化ソフトウェアを収録 した最初のリリースであり、今では Qt とのライセンス問題が解決して いる KDE を最初に収録したリリースでもあります。最近までプロジェク トリーダーを務めた Bdale Garbee さんと 900 人以上の Debian 開発者 により、8,500 個以上のパッケージが収録され、公式のセットは 7 枚の バイナリ CD で構成されていました。 Debian 3.1 Sarge (2005 年 6 月 6 日): 緑色をしたプラスチック兵士 の軍曹から名付けられました。対応アーキテクチャの新規追加はありま せんが、非公式な AMD64 移植版が同時に発表され、新しく生まれた Alioth プロジェクトが運用するサイトを通じて配布されました。新しい インストーラである debian-installer を備えています。これはハード     ウェアの自動検出や無人インストールといった機能を備えたモジュール 式のソフトウェアで、30 ヶ国以上の言語に完全に翻訳されてリリースさ れました。また、完全なオフィススイートである OpenOffice.org を収 録した最初のリリースです。プロジェクトリーダーに Branden Robinson さんが選出された直後でした。900 人以上の Debian 開発者により、お よそ 15,400 個以上のパッケージが収録され、公式のセットは 14 枚の バイナリ CD で構成されていました。 Debian 4.0 Etch (2007 年 4 月 8 日): 映画のおもちゃのお絵かきボー ドから名付けられました。アーキテクチャが 1 つこのリリースで追加さ れました: AMD64 です。そして、m68k の公式サポートが打ち切られまし た。引き続き debian-installer を使っていましたが、このリリースで はグラフィカルインストーラ、暗号技術によるダウンロード済みパッケ ージの検証、より柔軟なパーティショニング (暗号化パーティションも サポート)、メール設定の簡略化、より柔軟なデスクトップ選択機能、単 純にしつつ改良を加えたローカライゼーション、レスキューモードなど     の新モードの追加がありました。以前 2 つあったインストールフェーズ がついに統合され、インストール作業中のマシンの再起動が不要になり ました。この新インストーラのグラフィカル版では文字結合機能や複雑 な言語を使用するスクリプトもサポートしたので、50 を超える言語への 翻訳が利用できるようになりました。プロジェクトリーダーに Sam Hocevar さんがちょうどこの日選出され、また、1030 人以上の Debian 開発者がいました。およそ 18,000 個のパッケージが収録され、公式の セットは 20 枚のバイナリ CD (3 枚の DVD) で構成されていました。さ らに、デフォルトのデスクトップ環境とは別のものをインストールでき る 2 枚のバイナリ CD が利用できるようになりました。 Debian 5.0 Lenny (2009 年 2 月): 映画 Toy Story のぜんまい仕掛け の双眼鏡から名付けられました。アーキテクチャが 1 つこのリリースで 追加されました: ARM EABI (armel) で、新しい ARM プロセッサ向けサ     ポートを提供します。そして古い ARM 移植版 (arm) は廃止予定となり ました。 m68k 移植版はこのリリースに含まれていませんが、まだ不安 定版ディストリビューションでは提供されていました。FreeBSD 移植版 は含まれませんでした。この移植版の品質を高める作業のほとんどは終 えたものの、このリリースの選定要件をまだ満たしませんでした。 このリリースでは、多くのストレージデバイスで使われている Marvell 製 Orion プラットフォームへのサポートを追加したことで、サポートす る小型機器が増加しました。また、いくつかのネットブックのサポート     も提供しました。組み込み ARM システム向けにいくらかの新しいビルド ツールが追加され、Debian パッケージをクロスビルドし圧縮できるよう になりました。また、様々なベンダーのネットブックがサポートされる ようになり、このディストリビューションは比較的性能の低いコンピュ ータに、より適応するソフトウェアを提供しました。 また、このリリースはフリーなバージョンの Sun 製 Java テクノロジを     提供する最初のリリースで、Java アプリケーションが main セクション で提供できるようになりました。     Debian 6.0 Squeeze (2011 年 2 月): 緑色をした 3 つ目のエイリアン から名付けられました。     このリリースは 2010 年 8 月 6 日、多くの Debian 開発者が第 10 回 DebConf でニューヨーク市に集まっているときにフリーズされました。 2 つのアーキテクチャ (alpha と hppa) が打ち切られましたが、新たな FreeBSD 移植版 (kfreebsd-i386 と kfreebsd-amd64) アーキテクチャ 2 つがテクノロジープレビューとして利用できるようになりました。カー     ネルとユーザランドのツールや (先進的なデスクトップの機能はまだな いものの) 一般的なサーバソフトウェアを収録しています。これは Linux ディストリビューションが Linux ではないカーネルの利用も行え るよう拡張された、初めての例でした。 この新リリースでは依存関係ベースの起動シーケンスを導入し、init ス     クリプトを並列に処理できるようになり、システムの起動を高速化しま した。 Debian 6 は長期サポート (LTS) の恩恵を受けることができる最初のリ リースですべての安定版 Debian リリースを最低5年間以上にする計画を     打ち出しました。Debian LTS は Debian サポートチームによって保全さ れませんでしたが有志や企業の厚意により成り立ちました。 Debian 6 は amd64 と i386 アーキテクチャにおいては2016年2月までサポートさ れました。     Debian 7.0 Wheezy (2013 年 5 月): 赤い蝶ネクタイを締めたゴム製の おもちゃのペンギンから名付けられました。 このリリースは 2012 年 7 月 30 日、多くの Debian 開発者が第 12 回     DebConf でニカラグアのマナグアに集まっているときにフリーズされま した。 アーキテクチャが1つ (armhf) このリリースで追加されました。また、 このリリースでは複数アーキテクチャのサポートが導入され、ユーザが     複数のアーキテクチャのパッケージを同一のマシンにインストールでき るようになりました。インストールプロセスの改善で、視覚的に不自由 な人がソフトウェアによる音声案内を利用してシステムをインストール できるように初めてなりました。     UEFI ファームウェアを採用した機器でのインストール及びブートをサポ ートする最初のリリースにもなりました。     Debian 7 は i386, amd64, armel と armhf アーキテクチャで 2018年5 月まで長期サポート (LTS) が行われました。     Debian 8.0 Jessie (2015 年 4 月): Toy Story 2 で初めて登場したカ ウガールの人形から名付けられました。 これは systemd init が既定のシステム管理ソフトウェアとして組み込 まれた初めてのリリースです。 arm64 と ppc64el のアーキテクチャが     新たに追加され、s390 は s390x に置き換えられ、 ia64 と sparc は打 ち切られました。 Sparc は、16年間も Debian のサポートするアーキテ クチャとして愛されてきましたが、開発者の不在により残念ながら維持 できなくなりました。 これリリースでは、大幅なセキュリティの改善が行われました、それら は新しいカーネルのセキュリティ脆弱性 (symlink attacks) を無効にす     る機能や、セキュリティサポート下にあるパッケージを判別する新たな 方法や、強化されたコンパイラフラッグを使用して組み上げられたパッ ケージや、サブシステムに再起動の必要性があるときそれを認識する機 構 (needrestart) がシステム更新時に通知するようになりました。     Debian 8 は i386, amd64, armel と armhf で2020年6月まで長期サポー ト (LTS)されました     Debian 9 Stretch (2017 年 6 月): Toy Story 3 で登場した吸盤付きの 長い8本の足を持つタコの人形から名付けられました。     このリリースは、2017年2月7日に機能固定化されました。     Debian 9は、2015年12月28日に亡くなった創設者 Ian Murdock 氏に捧げ られました。 Powerpc アーキテクチャのサポートはこのリリースで打ち切られました 、その代わりにmips64el が追加されました。このリリースから、デバッ グパッケージという新しいリポジトリがデバッグシンボル付きのパッケ     ージと共にアーカイブに追加されました。Firefox と Thunderbird が Debian に帰ってきました、Iceweasel と Icedove が商標の関係上使え なかった期間は10年間に及びます。再生可能なビルドプロジェクトに感 謝します、Debian 9 を含む 90% を超えるソースパッケージはビット単 位で同じバイナリパッケージをビルドすることができます。     Debian 9 は i386, amd64, armel と armhf アーキテクチャで 2022年6 月まで長期サポート (LTS) が行われました。 Debian 10 Buster (2019年7月): は Toy Story に登場する Andy のペッ     トの名前です。 Buster はクリスマスプレゼントとして Andy に贈られ ました。 このリリースより Debian は初めて強制アクセス制御モデル (AppArmor) を追加しました。、また、 Rust ベースのプログラム Firefox, ripgrep, fd, exa, etc と多大なる Rust のライブラリ群 (計450以上) をを同梱した最初のリリースでもあります。Debian 10 Gnome 版ではデ     ィスプレイサーバーに Wayland が Xorg に代わって登場し単純で現代的 なデザインを提供でき、セキュリティ上も有利になりました。 UEFI(「 Unified Extensible Firemware Interface」) のサポートは Debian 7 で開始されましたが 10 では大幅に改良され、i386, amd64 と arm64 で はほぼすべてのマシンでセキュアブートが設定なしに使えるようになり ました。     Debian 10 は i386, amd64, armel と armhf アーキテクチャで 2024年6 月まで長期サポート (LTS) が行われました。     Debian 11 Bullseye (2021年8月14日): Toy Story 2 で登場した Woody のおもちゃの木馬から名付けられました。 このリリースは、 11,294 個の新しいパッケージを含む、合計 59,551     個のパッケージから成り立っています、それも、「旧式化」した 9,519 個のパッケージを削除した後の数字です。 42,821 個のパッケージが更 新され、5,434 個は変更されませんでした。 Debian 11 はドライバなしの印刷やベンダー由来のドライバなしのスキ ャンなどを可能にし、exFAT ファイルシステムをサポートするカーネル     を搭載しました。 Mipsアーキテクチャがサポートされなくなり、32-bit 用の mipsel (リトリエンディアン)と 64-bit 用の mipsel64el リトル エンディアンハードウェアは継続されました。 Debian 医療チームは、COVID-19 との戦いにウイルスの配列を研究する     ソフトと疫学で使用される対パンデミック用のツールのパッケージ化に 取り組みました。この取り組みは機械学習の分野でも継続しています。     Debian 12 Bookworm (2023年6月10日): Toy Story 3 で登場した緑色の おもちゃの虫と内蔵懐中電灯から名付けられました。 このリリースは、 11,089 個の新しいパッケージを含む、合計 64,419 個のパッケージから成り立っています、「旧式化」した 6,296 個のパッ     ケージを削除され、43,254 個のパッケージが更新されました。Bookworm の使用ディスク容量は、 365,016,420 kB (365 GB) で 1,341,564,204 行のコードで成り立っています。 次の 2022 一般決議で Debian 社会契約における non-free-firmwareに 調整が行われ、non-free パッケージと non-free firmware を分割し追 加することとなりました。 Non-free firmware パッケージのほとんどは     non-free から non-free-firmware に移されました。この分割の目的は 、インストールを行う際に多様なイメージを作成するためです。結果、 Debian を多種多様な機種に公式インストーラーで簡単にインストールで きるようになりました。     全部で9つのアーキテクチャが公式に bookworm でサポートされました。     Debian クラウドチームは、bookworm を3つのクラウドコンピューティン グサービスに提供しました。 buster や bullseye を bookworm にアップグレードする際、非 merged-usr 環境では、root ファイルシステムが正常にレイアウトを更     新できず、merged-usr^[1] は、サポートから外れていました。このバグ Bug#978636 (Feb 2021) を技術委員会がアップグレード中にレイアウト を更新するよう修正ししました。 Debian セキュリティチームと Debian 長期サポートチームの共同作業の     おかげで、bookworm は、4つのアーキテクチャをリリースから5年後の 2028年6月までサポートすることとなりました。     Debian 13 Trixie (2024年8月のtestingディストリビューション): Toy Story 3 で登場した青いトリケラトプスから名付けられました。 --------------------------------------------------------------------- ^[1] usr-merge (または、merged-usr や /usr-move) は、ファイルシス テムの配置で、伝統的な unix ディレクトリの /bin, /sbin, /lib and     /lib64 等は、/usr 内にシンボリックリンクを移しました。例えば、/ bin は /usr/bin にシンボリックリンクとして移動しました。 2012年に 、 usr-merge は Fedora や Ubuntu で実現されました。詳しくは User Merge についてや Bookworm リリースノートをご覧ください。 第4章詳細な歴史 4.1. 0.x リリース Debian は、当時 Purdue 大学の学部在校生であった Ian Murdock さん によって 1993 年 8 月に生まれました。Debian は、フリーソフトウェ     ア財団 (Richard Stallman さんによって創られた団体で、一般公衆利用 許諾契約書 (GPL) と関係があります) の GNU Project によって 1 年間 -- 1994 年 11 月から 1995 年 11 月まで -- 援助を受けました。     Debian 0.01 から Debian 0.90 までは 1993 年 8 月から 12 月までの 間にリリースされました。Ian Murdock さんは次のように書いています: 「Debian 0.91 は 1994 年 1 月にリリースされました。原始的なパッケ ージシステムを備えており、ユーザはパッケージを操ることができまし たが、それ以外のことはほとんど何もできませんでした (依存関係や、     それに類する事はまったく存在していませんでした)。その頃には、 Debian の作業をしている人が数十名いましたが、まだ私自身の手でリリ ースの取りまとめ作業の大半を行なっていました。0.91 は、このように して行なわれた最後のリリースです。 1994 年の大部分は、他の人たちがより効果的に貢献できるよう Debian プロジェクトを組織するのに、そして dpkg (これについては主に Ian     Jackson さんが責任を負っていました) について作業するのに費やされ ました。私が覚えているかぎり、1994 年には公式なリリースはありませ んでしたが、手続きを正しくするための作業中に数回の内部リリースが ありました。 Debian 0.93 Release 5 が 1995 年 3 月に生まれました。これは Debian の最初の「現代的な」リリースでした: その頃にはさらに多くの     開発者がいて (正確に何人なのか覚えていませんが)、それぞれが自分の パッケージを開発し、基本システムをインストールした後でこれらすべ てのパッケージをインストールしたり保守したりするのに dpkg が使わ れていました。 Debian 0.93 Release 6 は 1995 年 11 月に生まれました。これは     a.out 形式での最後のリリースでした。0.93R6 では約 60 人の開発者が パッケージを開発していました。私の記憶が正確ならば、dselect は 0.93R6 で初めて登場しました。" Ian Murdock さんは、Debian 0.93R6 は「いつでも私の大好きな Debian リリースだった」とも書いていますが、個人的な偏見がある可能性も認 めています。なぜなら、Murdock さんは Debian 1.0 の試作中である 1996 年 3 月に、プロジェクトで活動するのをやめているからです。     Debian 1.0 は、実際には Debian 1.1 としてリリースされました。これ は、CD-ROM 製造者がリリースされていないバージョンを誤って Debian 1.0 と称してしまった後の混乱を避けるためです。この出来事は、ベン ダがこの種の誤りを避けるのをプロジェクトが助ける方法としての「公 式の」CD-ROM イメージという概念につながりました。 1995 年 8 月 (Debian 0.93 Release 5 と Debian 0.93 Release 6 との 間) に、Hartmut Koptein さんが Motorola m68k 系列への Debian の最 初の移植を開始しました。Koptein さんは「とても多くのパッケージは i386 中心主義 (リトルエンディアン、-m486、-O6、libc4 専用) で、自     分のマシン (Atari Medusa 68040、32 MHz) 上に出発点となるパッケー ジを揃えるのに苦労しました。3 か月後 (1995 年 11 月) には、入手可 能な 250 個のパッケージのうち 200 個をアップロードしましたが、す べて libc5 用でした!」と報告しています。後に Koptein さんは、 Vincent Renardias さんや Martin Schulze さんと一緒に PowerPC 系列 への移植を始めました。 この頃には、Debian プロジェクトは他のアーキテクチャへの数種の移植     版と、新しい (Linux ではない) カーネル、すなわち GNU Hurd マイク ロカーネルへの移植版や、少なくとも BSD カーネルの 1 フレーバを含 むまでに成長していました。     初期のプロジェクトメンバーである Bill Mitchell さんは、Linux カー ネルについて次のように回想しています。 「...Debian が生まれたときは 0.99r8 と 0.99r15 の間でした。長い間     、私は 20 MHz の 386 ベースなマシン上でカーネルを 30 分以内に構築 することができました。そして同じ時間で、Debian のインストールを 10MB 未満のディスクスペースに行なうことができました。 ... Ian Murdock さん、私、Ian Jackson さん、苗字を思い出せない別 の Ian さん、Dan Quinlan さん、そして名前を思い出せない他の人たち     を最初のグループとして覚えています。Matt Welsh さんは最初のグルー プの一部か、かなり早い段階で参加しました (その後、プロジェクトか ら離れました)。誰かがメーリングリストを用意し、私たちはうまくやっ ていました。 思い出せるかぎりでは、私たちは計画を立ててから始めたわけではなく 、計画を高度に組織化された形にまとめてから始めたわけでもありませ んでした。これははっきり思い出せますが、私たちは開始直後から、パ ッケージのまったく無作為なコレクションを作るためのソースを集めは     じめました。時間がたつにつれ、ディストリビューションの中核をまと めるために必要なものを集めるのに専念するようになりました: カーネ ル、シェル、update、getty、システムを初期化するのに必要なその他の さまざまなプログラムやサポートファイル、そして中核となるユーティ リティ一式です」 4.2. 初期の Debian パッケージシステム プロジェクトのごく初期の段階では、メンバーはソースのみのパッケー ジを配布することを考えました。各パッケージは上流のソースコードと Debian 化されたパッチファイルから構成され、ユーザはソースを展開し 、パッチを当て、自分でバイナリをコンパイルするわけです。しかし、     すぐにバイナリ配布のための何らかの仕組みが必要だと気がつきました 。Ian Murdock さんによって書かれ、dpkg と呼ばれた最初のパッケージ 化ツールは、Debian 特有のバイナリ形式でパッケージを作成しました。 さらに後で展開して、パッケージ内のファイルをインストールするのに も使えました。 Ian Jackson さんがすぐにパッケージ化ツールの開発を引きつぎ、ツー ル自体の名前を dpkg-deb に変更し、dpkg-deb の使用を容易にし今日の Debian システムの依存や競合を提供するための dpkg と名付けられたフ     ロントエンドプログラムを書きました。これらのツールによって作られ たパッケージには、そのパッケージを作るのに使われたツールのバージ ョンを示すヘッダがあり、tar によって作られたアーカイブ (制御情報 によってヘッダとは分けられていました) へのオフセットがファイル内 にありました。 およそこの頃、プロジェクトメンバー間で論争がおきました -- dpkg-deb によって作られた Debian 特有のフォーマットは、ar プログ ラムによって作られる形式に取って代わられるべきではないかと思った 人がいました。何度かファイル形式が変更され、それに対応してパッケ     ージ化ツールが変更された後で、ar 形式が採用されました。この変更の 鍵となる価値は、あらゆる Unix 似なシステム上で、信頼できない実行 形式を走らせる必要なしに Debian パッケージを展開できるようになっ たということです。言いかえれば、'ar' や 'tar' といったすべての Unix システムに備わっている標準的なツールさえあれば、 Debian バイ ナリパッケージを展開し中身を調べることができるということです。 4.3. 1.x リリース Ian Murdock さんが Debian を離れるとき、Murdock さんは Bruce Perens さんを次のプロジェクトリーダーに指名しました。Bruce さんが Debian に最初に興味を抱いたのは、ハム無線オペレータの役に立つ Linux ソフトウェアをすべて含む「Linux for Hams」という名の Linux ディストリビューション CD を作ろうとしていたときでした。自分のプ     ロジェクトに対応させるには、Debian の中核システムにはもっと作業が 必要なことが判り、Bruce さんは自分のハム無線ディストリビューショ ンを延期して、(Ian Murdock さんとともに) 最初の Debian インストー ルスクリプト一式 (これはこの後数回のリリースで Debian インストー ルツールセットの中核を構成することになる Debian レスキューフロッ ピーになりました) を組織化することを含む、基本的な Linux システム と関連するインストールツールの作業にのめりこむようになりました。     Ian Murdock さんは次のように述べています: 「Bruce さんは私の後継者として自然な選択でした。なぜなら彼は 1 年     近くもの間基本システムを開発していて、私が Debian に提供できる時 間が急速に減っていくにつれて弛んだ部分を拾いあげていったからです 」 Bruce さんは Debian フリーソフトウェアガイドラインと Debian 社会 契約を作るための労力をまとめること、またオープンハードウェアプロ     ジェクトの創設を含むプロジェクトの重要な側面を始めました。Bruce さんがプロジェクトリーダーを務める間に、Debian は市場シェアと、ま じめで、優れた技術を持つ Linux ユーザのためのプラットフォームとし ての名声を獲得しました。 Bruce Perens さんはまた、Software in the Public Interest, Inc. を 設立する努力の先頭にも立ちました。もともとは Debian プロジェクト     に寄付を受けいれることができる法人格を提供することが狙いでしたが 、その目的は Debian プロジェクト以外のフリーソフトウェアプロジェ クトを支援することも含むように、まもなく拡大されました。     この頃、次の Debian バージョンがリリースされました: * 1.1 Buzz 1996 年 6 月リリース (474 個のパッケージ、2.0 カーネ ル、ELF 形式のみ、dpkg)     * 1.2 Rex 1996 年 12 月リリース (848 個のパッケージ、120 人の開 発者) * 1.3 Bo 1997 年 7 月リリース (974 個のパッケージ、200 人の開発 者)     1.3 には中間の「ポイント」リリースが何回か行なわれました。その最 後は 1.3.1R6 です。 Bruce Perens さんは 2.0 リリースを準備する過程の大部分でプロジェ     クトを率いた後、1998 年 1 月初めに Debian プロジェクトリーダーの 職を Ian Jackson さんに引きつぎました。 4.4. 2.x リリース Ian Jackson さんは、1998 年初めに Debian プロジェクトのリーダーに 就任しました。その直後、Software in the Public Interest の取締役 会に副社長として迎えられました。財務担当 (Tim Sailer)、社長     (Bruce Perens) そして書記官 (Ian Murdock) が辞任した後、Jackson さんは社長になり、3 人の新メンバーが選ばれました: Martin Schulze (副社長)、Dale Scheetz (書記官)、そして Nils Lohner (財務担当) で す。 Debian 2.0 (Hamm) は、1998 年 7 月に Intel i386 および Motorola 68000 系列アーキテクチャ向けにリリースされました。このリリースは     、システム C ライブラリの新バージョン (glibc2、歴史的な理由から libc6 とも呼ばれています) への移行を果たしました。リリース時点で は、400 人以上の Debian 開発者によって保守される 1500 個以上のパ ッケージがありました。 1999 年 1 月、Wichert Akkerman さんが Ian Jackson さんから Debian     プロジェクトリーダー職を引き継ぎました。Debian 2.1 は最終段階でい くつかの問題が起きたため、1 週間遅れで 1999 年 3 月 9 日にリリー スされました。 Debian 2.1 (Slink) は 2 種類の新しいアーキテクチャに公式対応して いました: Alpha と Sparc です。 Debian 2.1 に収録された X-Window パッケージは以前のリリースから大きく再編され、また 2.1 は次世代の     Debian パッケージ管理インターフェイスである apt も収録していまし た。さらに、この Debian リリースは「公式 Debian CD セット」に 2 枚の CD-ROM が必要となる初めての Debian リリースでした; 約 2250 個のパッケージが収録されていました。 1999 年 4 月 21 日、Corel が Debian および KDE グループによって作 られたデスクトップ環境を元にした Linux ディストリビューションをリ リースする計画だと発表した時、Corel Corporation と K デスクトップ プロジェクトが Debian と事実上の同盟を結成しました。その春と夏の     間、また別の Debian ベースのディストリビューションである Storm Linux が出現し、Debian プロジェクトは CD-ROM や公式プロジェクトウ ェブサイトといった Debian 公認の物品で使うための公式バージョンと 、Debian に言及するか由来する物品で使うための非公式ロゴからなる新 しいロゴを採択しました。 新しい、独特な Debian 移植版が始まったのもこの頃です。すなわち     Hurd への移植版です。これは Linux 以外のカーネルを使う初めての移 植版で、代わりに GNU Mach マイクロカーネルの一種である GNU Hurd を使っています。 Debian 開発者たちが、DebConf と呼ばれる初の年次会議に出席しました 。この初の会議は、Debconf0 と命名され、2000年7月9日、フランスのボ     ルドーで行われました。この会議では、開発者と上級ユーザーが一箇所 に集まり意見を交わしながらディストリビューションの共同開発に携わ りました。 Debian 2.2 (Potato) は、2000 年 8 月 15 日に Intel i386、Motorola 68000 シリーズ、alpha, SUN Sparc, PowerPC そして ARM アーキテクチ     ャ向けにリリースされました。これは PowerPC と ARM への移植版を含 む初めてのリリースでした。このリリース時点では、450 人以上の Debian 開発者によって保守される 3900 個以上のバイナリパッケージと 、2600 個以上のソースパッケージがありました。 Debian 2.2 について興味深い事実は、フリーソフトウェアが、あらゆる 困難にもかかわらず、現代的なオペレーティングシステムを生み出せる     ことを示したことです。このことは、関心を抱いたグループによる Counting potatoes: The size of Debian 2.2 Jesús González Barahona の引用記事にあります。 「[...] 我々は David A. Wheeler 作の sloccount システムを使い、 Debian 2.2 (別名 potato) の有意なコードのソース行数 (SLOC) を測定 した。Debian 2.2 には、(約 8 ヶ月後にリリースされた Red Hat 7.1 のほぼ倍にあたる) 55,000,000 行以上の有意な SLOC があり、(世界中 に散らばっているボランティアの開発者からなる巨大なグループの作業 を元にした) Debian の開発モデルは、少なくとも他の開発手法に匹敵は     することが示されている [...] また、もし Debian が伝統的なプロプラ イエタリな手法を使って開発されていたなら、COCOMO モデルで見積った Debian 2.2 の開発コストは 19 億米ドル近くにもなるであろうことも示 されている。さらに我々は、Debian 2.2 で使われたプログラミング言語 (C が約 70%、C++ が約 10%、Lisp とシェルがおおよそ 5%、その他大勢 があとに続く) と、大規模なパッケージ (Mozilla、 Linux カーネル、 PM3、XFree86、その他) に関する分析も提供する」 4.5. 3.x リリース woody がリリースの準備に取りかかれるようになる前に、ftp-master 上 のアーカイブシステムに変更が加えられなければなりませんでした。 woody のリリースを準備するために初めて使われる新しい "テスト版" ディストリビューションといった、特別な目的のディストリビューショ     ンを可能にするパッケージプールが、2000 年 12 月半ばにftp-master 上で稼働を始めました。パッケージプールは既存パッケージの異なるバ ージョンを集めたものにすぎず、複数のディストリビューション (現在 のところ experimental、不安定版、テスト版、安定版) はそこからパッ ケージを取得することができ、各々の Packages ファイルに収録されま す。 同時にテスト版という新ディストリビューションが導入されました。主 に、不安定版の中で安定していると思われるパッケージが (数週間後に)     テスト版に移されます。テスト版導入の目的は、フリーズ期間の短縮と 、プロジェクトがいつでも新リリースの準備を行なえるようにすること です。 この期間に、Debian のモディファイ版を出荷していた企業のいくつかが 、消えてなくなりました。Corel は 2001 年の第 1 四半期に同社の     Linux 部門を売却し、Stormix は 2001 年 1 月 17 日に破産を宣告し、 Progeny は 2001 年 10 月 1 日に同社製ディストリビューションの開発 を停止しました。 次期リリースへ向けたフリーズは、2001 年 6 月 1 日に始まりました。 しかしながら、プロジェクトが次期リリースを完成させるまでには、そ れから 1 年強の時間を要したのです。その理由は起動フロッピーの問題 や、main アーカイブへの暗号化ソフトウェアの導入、プロジェクトの根 底にあるアーキテクチャの変更 (incoming アーカイブとセキュリティア ーキテクチャ) などでした。しかしこの期間に、安定版リリース (Debian 2.2) は 7 度も改訂され、Ben Collins さん (2001 年) と     Bdale Garbee さんという 2 人のプロジェクトリーダーが選出されまし た。さらに、パッケージ化以外にも Debian 関連の多くの作業は成長を 続けました。その中には国際化も含まれており、(1000 以上のページが ある) Debian のウェブサイトは 20 ヶ国以上の言語に翻訳され、次期リ リース版のインストールでは 23 ヶ国語に対応していました。Debian Junior (子供向け) と Debian Med (医学の学習研究用) という 2 つの 内部プロジェクトも woody のリリース準備期間中に始まり、Debian を その種の業務に適したものとするための異なる焦点をプロジェクトにも たらしました。 Debian 開発者は DebConf と呼ばれる年次会議を継続し、二度目の会議 Debconf1 が、7月2日から 5日にかけてフランスはボルドーで Libre     Software Meeting (LSM) との共催で行なわれ、約 40 名の Debian 開発 者が集まりました。3回目の会議 Debconf2 は、2002年7月5日にカナダの トロントで開催され、80 人以上の参加者を集めました。 Debian 3.0 (woody) は 2002 年 7 月 19 日にリリースされ、Intel i386、Motorola 68000 系列、 alpha、SUN Sparc、PowerPC、ARM、HP PA-RISC、IA-64、MIPS、MIPS (DEC)、IBM s/390 といったアーキテクチ     ャに対応していました。HP PA-RISC、IA-64、MIPS、MIPS (DEC)、IBM s/ 390 などの移植版が収録された初めてのリリースです。このリリース時 点では、900 人以上の Debian 開発者によって保守される約 8500 個の バイナリパッケージがあり、CD-ROM に加えて初めて DVD メディアでも 入手できるようになりました。 次期リリースを前に、年に 1 度の会議である DebConf が引き続き行わ れました。第 4 回 DebConf3 は、2003 年 7 月 18 日から 20 日にかけ てオスロで開催され、120 名以上の参加者が集まりました。またそれに     先立ち、7 月 12 日から 17 日にかけて Debcamp も開催されました。第 5 回の会議 DebConf4 は、2004 年 5 月 26 日から 6 月 2 日にかけて ブラジルのポルト・アレグレで開催され、26 ヶ国から 160 名以上の参 加者を集めました。 Debian 3.1 (sarge) は、2005 年 6 月 6 日にリリースされ、対応アー キテクチャは woody と同じでしたが、非公式な AMD64 移植版が同時に     リリースされました。この AMD 64 移植版は、Alioth(以前は https:// alioth.debian.org) から利用できました。1500 人以上の Debian 開発 者によって保守される約 15,000 個のバイナリパッケージがありました 。 sarge のリリースでは多くの大規模な変更がなされましたが、大半は同 ディストリビューションのフリーズとリリースに要した長きにわたる時 間によるものです。sarge では、従来バージョンにもあったソフトウェ     アの 73% 以上が更新されただけでなく、9000 個もの大量の新規パッケ ージが収録され、サイズ的には従来リリースの倍近くになりました。新 規パッケージには、OpenOffice スイート、Firefox ウェブブラウザ、 Thunderbird 電子メールクライアントなどが含まれます。 sarge には Linux カーネルの 2.4 および 2.6 系列、XFree86 4.3、KDE 3.3 が収録されており、まったく一新されたインストーラを備えていま した。この新インストーラは旧式な起動フロッピー式インストーラを置 き換えるものです。モジュール式の設計で、ハードウェアの自動認識を 含むより進化したインストール (RAID、XFS、LVM にも対応) を提供し、     全アーキテクチャにおいて初心者ユーザでもインストールを容易に行な えます。また、パッケージ管理用に選ばれるツールは aptitude に切り 替わりました。ソフトウェアがほぼ 40 ヶ国語に翻訳されたように、イ ンストールシステムも完全な国際化対応を誇っています。インストール マニュアルやリリースノートといった周辺文書もリリースと同時に入手 可能となり、それぞれ 10 から 15 ヶ国の言葉に翻訳されたものが用意 されています。 sarge には、Debian-Edu/Skolelinux や Debian-Med、 Debian-Accessibility といったサブプロジェクトによる成果も取り込ま     れています。これらのサブプロジェクトにより、教育用パッケージや医 療団体用パッケージ、それに障碍のある人向けに特別に設計されたパッ ケージの数は増加の一途をたどっています。 第 6 回の DebConf である Debconf5 は、2005 年 7 月 10 日から 17     日にかけてフィンランドのエスポーで開催され、300 人を超える参加者 を集めました。このカンファレンスの模様を映したビデオがオンライン で入手できます。 第 7 回の DebConf である Debconf6 は、2006 年 5 月 14 日から 22     日にかけてメキシコのオアステペックで開催され、約 200 人の参加者を 集めました。このカンファレンスの模様を映したビデオや写真がオンラ インで入手できます。 4.6. 4.x リリース Debian 4.0 (etch) は、2007 年 4 月 8 日にリリースされ、対応アーキ テクチャの数は sarge から変わりませんでした。AMD64 移植版を取り込     みましたが、m68k のサポートを打ち切りました。ただ、この m68k 移植 版は、不安定版ディストリビューションでまだ利用できるようになって いました。1030 人以上の Debian 開発者によって保守される約 18,200 個のバイナリパッケージがありました。 4.7. 5.x リリース Debian 5.0 (lenny) は、2009 年 2 月 14 日にリリースされ、対応アー キテクチャの数は前のリリース etch から 1 つ増えました。新しい ARM プロセッサ向け移植版を取り込みました。前回のリリースと同様、m68k     アーキテクチャは不安定版ディストリビューションでまだ利用できるよ うになっていました。1010 人以上の Debian 開発者によって保守される (12,000 個以上のソースパッケージから構築された) 約 23,000 個のバ イナリパッケージがありました。 Debian lenny のリリース後、ポイントリリースの表示方法が変更されま した。ポイントリリースはメジャーリリース番号のあとにさらなる小数     点を使用して表示されます。 Debian lenny の最初のポイントリリース ならば、 5.0.1 となります。過去の表記では、「4.0r1」のようにrを使 用していました。 第 8 回の DebConf である Debconf7 は、2007 年 6 月 17 日から 23     日にかけてスコットランドのエジンバラで開催され、400 人を超える参 加者を集めました。このカンファレンスの模様を映したビデオや写真が オンラインで入手できます。 第 9 回の DebConf である Debconf8は、2008 年 8 月 10 日から 16 日     にかけてアルゼンチンのマルデルプラタで開催され、200 人を超える参 加者を集めました。このカンファレンスの模様を映したビデオや写真が オンラインで入手できます。 第 10 回の DebConf である Debconf9 は、2009 年 7 月 23 日から 30     日にかけてスペインのカセレスで開催され、200 人を超える参加者を集 めました。このカンファレンスの模様を映したビデオや写真がオンライ ンで入手できます。 第 11 回の DebConf であるDebconf10は、2010 年 8 月 1 日から 7 日 にかけてアメリカ合衆国のニューヨーク市で開催されました。それに先 立ち、7 月 25 日から 31 日にかけて Debcamp も開催されました。     Debian 開発者、メンテナ、ユーザを含む 200 人を超える参加者がコロ ンビア大学キャンパスに集い、カンファレンスに参加しました。このカ ンファレンスの模様を映したビデオや写真がオンラインで入手できます 。 4.8. 6.x リリース     Debian 6.0 (squeeze) は、2011 年 2 月 6 日にリリースされました。 2009 年 7 月 29 日に Debian は時間ベースのフリーズを採用すること     を決定し、その後の新リリースは偶数年の前半のある時点に行われるこ とにしました。Squeeze は 2 年ごとという新しい時間計画に移るための 一度きりの例外ということになっていました。 この方針が採用されたのは、Debian ディストリビューションのユーザに よりよいリリース予測可能性を提供するため、また、Debian 開発者がよ りよい長期計画を立てられるようにするためでした。2 年ごとのリリー     スサイクルならば破壊的な変更にもっと多くの時間を充てられるので、 ユーザに不便を強いることを減らすことになります。フリーズが予測で きることで、全体としてのフリーズ期間の短縮にもつながることが期待 されていました。 しかし、このリリースは 2009 年 12 月にフリーズされる予定だったに     もかかわらず、そのsqueeze フリーズの発表があったのは 2010 年 8 月 でした。これは年一度で 10 回目の DebConf 会議がニューヨークで開か れているとき行われ、お祝いになりました。     次の新機能があります: * Linux カーネル 2.6.32: ついに完全にフリーになり、問題のあるフ ァームウェアファイルが削除されました。 * libc: eglibc 2.11 * GNOME 2.30.0、一部 2.32 * KDE 4.4.5 * X.org 7.5 * Xfce 4.6 * OpenOffice.org 3.2.1 * Apache 2.2.16 * PHP 5.3.3 * MySQL 5.1.49     * PostgreSQL 8.4.6 * Samba 3.5.6 * GCC 4.4 * Perl 5.10 * Python 2.6 および 3.1 * 約 15,000 個のソースパッケージから構築された 29,000 個を超え るバイナリパッケージのうち、10,000 個が新規パッケージ。 * DKMS: Linux カーネルのソースツリーには含まれないソースの Linux カーネルモジュールを生成するフレームワーク。 * insserv を使った依存関係ベースの init スクリプトの並び替えに より、並列に実行してシステムの起動にかかる時間を短縮しました 。 * 2 つの新たな移植版、kfreebsd-i386 および kfreebsd-amd64。 多くのパッケージが quilt をベースにした新ソースパッケージフォーマ ットを利用しはじめました。この新フォーマットは非ネイティブなパッ ケージでは "3.0 (quilt)" という名前のもので、配布されているソース     コードと Debian のパッチを分離します。ネイティブなパッケージ用に も新フォーマット "3.0 (native)" が導入されました。これらのフォー マットには、上流の複数の tarball のサポート、bzip2 や lzma で圧縮 された tarball のサポート、バイナリファイルを同梱できる、といった 新機能があります。 12 回目の DebConf である Debconf11がボスニア・ヘルツェゴビナ、ス     ルプスカ共和国のバニャルーカで 2011 年 7 月 24 日から 30 日まで、 先だって 7 月 17 日から 23 日まで行われた DebCamp と合わせて開催 されました。 13 回目の DebConf である Debconf12がニカラグアのマナグアで 2012     年 7 月 8 日から 14 日まで、先だって 7 月 1 日から 6 日まで行われ た DebCamp、7 月 7 日に行われた Debian Day と合わせて開催されまし た。 4.9. 7.x リリース Debian 7.0 (wheezy) は、2013 年 5 月 4 日にリリースされました。こ の新しいバージョンの Debian では、multiarch のサポートやプライベ     ートクラウドの展開に特化したツール群、改善したインストーラ、サー ドパーティリポジトリをもはや不要とするマルチメディア用コーデック やフロントエンド一式等、様々な興味深い機能が収録されています。 Debian wheezy のリリース後、Debian のリリース表記方法が再び変更さ     れました。各ポイントリリースは、マイナーチェンジを小数で表すよう になりました。例: 7.1 以前は、メジャーリリース番号 (例: 6.0) の後 ろにマイナーリリース番号(例:.2) を付加していました (例: 6.0.2) 2011 年 7 月に行われた Debian カンファレンス DebConf11 の期間中、 「multiarch のサポート」が紹介されました。この機能はこのリリース の目標でした。Multiarch は全く同一のシステムに異なるハードウェア アーキテクチャのプログラムやライブラリを同時に簡単にインストール できるようにするもので、ライブラリやヘッダのパスについての観点か     らファイルシステムの構造を根本的に考え直すことになりました。これ によってユーザは同一マシンに複数のアーキテクチャからパッケージを インストールできるようになります。これは様々な面で便利なことです が、最も一般的なのは 64 ビットと 32 ビットのソフトウェアを同一マ シンにインストールすることで、その依存関係は自動的に正しく解決さ れます。この機能は Multiarch マニュアルで詳しく説明されています。 インストールプロセスは大きく改善しました。ソフトウェアによる音声 案内を利用することで、特に点字デバイスを使わない視力障害者がイン ストールすることができるようになっています。莫大な数の翻訳者の協     力のおかげで、インストールシステムは 73 の言語で利用可能となり、 音声合成を利用可能な言語も多数あります。さらに、Debian は新しい 64 ビット PC 向けに、UEFI を使用したインストールやブートを初めて サポートしています。ただし、セキュアブートのサポートはまだありま せん。     他の新機能や更新されたソフトウェアパッケージ: * Linux カーネル 3.2 * kFreeBSD カーネル、8.3 と 9.0 * libc: eglibc 2.13 * GNOME 3.4 デスクトップ環境 * KDE Plasma Workspaces および KDE Applications 4.8.4 * Xfce 4.8 デスクトップ環境 * X.org 7.7 * LibreOffice 3.5.4 (OpenOffice を置き換え) * Xen Hypervisor 4.1.4     * Apache 2.2.22 * Tomcat、6.0.35 と 7.0.28 * PHP 5.4 * MySQL 5.5.30 * PostgreSQL 9.1 * Samba 3.6.6 * GCC 4.7、PC 向け (他は 4.6) * Perl 5.14 * Python 2.7 * 約 12,800 個のソースパッケージから構築された 37,400 個を超え るバイナリパッケージのうち、17,500 個が新規パッケージ。     このリリースで導入された新機能に関する情報については、Wheezy リリ ースノートの Debian 7.0 の新機能の章を見てください。 14 回目の DebConf である Debconf13がスイスのヴォーマルカスで 2013     年 8 月 11 日から 18 日まで、先だって 8 月 6 日から 10 日まで行わ れた DebCamp、8 月 11 日に行われた Debian Day と合わせて開催され ました。 15 回目の DebConf であるDebconf14がアメリカのポートランドで 2014     年 8 月 23 日から 31 日まで開催されました。参加人数は301名で現在 まで西半球最多です。 4.10. 8.x リリース     Debian 8.0 (Jessie) は、2015 年 4 月 25 日にリリースされました。 このリリースでの大きな変更として init システムの置き換えがありま す: systemd が sysvinit を置き換えました。この新しい init システ     ムには多くの改善やブートの高速化が盛り込まれました。しかしこの決 定に至るまでには多くの論争が複数のメーリングリストで発生し、init system coupling という一般決議にまで発展することとなりました。こ れには半分近い開発者が投票しました^[2]。     他の新機能や更新されたソフトウェアパッケージ: * Apache 2.4.10 * Asterisk 11.13.1 * GIMP 2.8.14 * 更新された GNOME 3.14 デスクトップ環境 * GNU Compiler Collection 4.9.2 * Icedove 31.6.0 (Mozilla Thunderbird の商標のないバージョン) * Iceweasel 31.6.0esr (Mozilla Firefox の商標のないバージョン) * KDE Plasma Workspaces および KDE Applications 4.11.13 * LibreOffice 4.3.3 * Linux 3.16.7-ctk9 * MariaDB 10.0.16 及び MySQL 5.5.42     * Nagios 3.5.1 * OpenJDK 7u75 * Perl 5.20.2 * PHP 5.6.7 * PostgreSQL 9.4.1 * Python 2.7.9 および 3.4.2 * Samba 4.1.17 * Tomcat、7.0.56 と 8.0.14 * Xen Hypervisor 4.4.1 * Xfce 4.10 デスクトップ環境 * 約 20,100 個のソースパッケージから構築されたその他 43,000 個 を超えるバイナリパッケージ。     このリリースで導入された新機能に関する情報については、Jessie リリ ースノートの Debian 8.0 の新機能の章を見てください。     16 回目の DebConf Debconf15 ドイツのハイデルベルグでDebCamp と共 に 2015年8月9日から22日の間開催されました。 17 回目の DebConf Debconf16 が南アフリカのケープタウンで2016年7月     9日から23日日まで、先だって行われた DebCamp と DebianDay に続いて 開催されました。これはアフリカで最初に行われた Debconf でした。 4.11. 9.x リリース     Debian 9.0 (Stretch) は、2017 年 6 月 17 日にリリースされました。     新機能や更新されたソフトウェアパッケージ: * Apache 2.4.23 * Bind 9.10 * Calligra 2.9 * Emacs 25.1 * Firefox 50.0 * GNOME 3.22 デスクトップ環境 * GNU Compiler Collection 6.3 * GnuPG 2.1 * KDE Plasma Workspaces および KDE Applications 5.8 * LibreOffice 5.2.7 * Linux 4.9     * MariaDB 10.1 * OpenJDK 8 * OpenSSH 7.4p1 * Perl 5.24 * PHP 7.0 * Postfix 3.1 * PostgreSQL 9.6 * Python 3.5 * Samba 4.5.8 * Xen Hypervisor 4.8.1 * Xfce 4.12 デスクトップ環境 * 約 25,000 個のソースパッケージから構築されたすぐに使える 51,000 個を超えるバイナリパッケージ。     このリリースで導入された新機能に関する情報については、Stretch リ リースノートの Debian 9.0 の新機能の章を見てください。 18 回目の DebConf である Debconf17がカナダのモントリオールで 2017     年 7月 31 日から 8月 12 日まで、先だって行われた DebCamp と Debian Day と合わせて開催されました。 19 回目の DebConf Debconf18は台湾の新竹で、2018年7月21日から8月5     日まで行われアジアで最初の開催となりました。伝統的に DebCamp と開 放日が先立って行われました。 4.12. 10.x リリース     Debian 10.0 (Buster) は、2019 年 7 月 6 日にリリースされました。     新機能や更新されたソフトウェアパッケージ: * Apache 2.4.38 * Bind 9.11 * Calligra 3.1 * Emacs 26.1 * Firefox 60.7 * GNOME 3.30 デスクトップ環境 * GNU Compiler Collection 8.3 * GnuPG 2.2 * KDE Plasma Workspaces および KDE Applications 5.14 * LibreOffice 6.1 * Linux 4.19     * MariaDB 10.3 * OpenJDK 11 * OpenSSH 7.9p1 * Perl 5.28 * PHP 7.3 * Postfix 3.3.2 * PostgreSQL 11 * Python 3.7.3 * Rustc 1.34 * Samba 4.9 * Xfce 4.12 デスクトップ環境 * 約 25,000 個のソースパッケージから構築された、すぐ使える 57,000 個を超えるバイナリパッケージ。     このリリースで導入された新機能に関する情報については、Buster リリ ースノートの Debian 10.0 の新機能の章を見てください。 Buster リリースの直後に、第20回 DebConf であるDebconf19がブラジル     のクリチバでで 2019 年 7 月 14 日から 28 日まで、DebCamp と開放日 と一緒に開催されました。     21 回目の DebConf Debconf20 は COVID-19 の対策で 2020 年 8 月 23 日から 29 日まで、オンラインで行われました。 4.13. 11.x リリース     Debian 11.0 (Bullseye) は、2021 年 8 月 14 日にリリースされました 。     新機能や更新されたソフトウェアパッケージ: * Apache 2.4.48 * Bind 9.16 * Calligra 3.2 * Emacs 27.1 * Firefox 78 * GNOME 3.38 デスクトップ環境 * GNU Compiler Collection 10.2 * GnuPG 2.2.27 * KDE Plasma Workspaces および KDE Applications 5.20 * LibreOffice 7.0 * Linux 5.10     * MariaDB 10.5 * OpenJDK 11 * OpenSSH 8.4p1 * Perl 5.32 * PHP 7.4 * Postfix 3.5 * PostgreSQL 13 * Python 3.9.1 * Rustc 1.48 * Samba 4.13 * Xfce 4.16 デスクトップ環境 * 約 25,000 個のソースパッケージから構築されたその他 59,500 個 を超えるバイナリパッケージ。     このリリースで導入された新機能に関する情報については、Bullseye リ リースノートの Debian 11.0 の新機能の章を見てください。 Bullseye のリリース後、22回目の DebConf Debconf21が COVID-19 の対     策のため 2021 年 8 月 24 日から 28 日まで開催されました。これに先 だって 8 月 15 日から 23 日までオンライン版 DebCamp も行われまし た。 DebConf22 23回目の年次 Debian 会議がコソボのプリズレンで、2022年7     月17日から24日まで開催されました。38カ国より260名の参加があり、91 のトークイベントと論議、Birds of Feather (BoF)の集会やワークショ ップ、その他の催し物が開催されました。 DebConf23 24回目の年次 Debian 会議がインドのコーチで、2023年9月10     日から17日まで開催されました。35カ国より 474名の参加があり、91の トークイベントと論議、Birds of Feather (BoF)の集会やワークショッ プ、その他の催し物が開催されました。 ---------------------------------------------------------------------     ^[2] 過去4年間における Debian プロジェクトリーダーの選挙は、通常 40% 程度の開発者が投票していました。 第5章重要な出来事 5.1. 2000 年 10 月: パッケージプールの実装 James Troup さんは、アーカイブ保守ツールの再実装を行ない、パッケ ージプールに移行したと報告しました。この日より、ファイルは pools ディレクトリ内のソースパッケージに対応した名前のディレクトリに保 存されるようになりました。ディストリビューションのディレクトリに     は、プールへの参照が含まれた Packages ファイルだけが収められてい ます。これにより、テスト版や不安定版といったディストリビューショ ン間での重複が単純化されました。このアーカイブは PostgreSQL を使 ったデータベース駆動型でもあり、ロックアップも高速化されています 。 この Debian のアーカイブ管理方法の考え方は、1998 年 5 月に Bdale     Garbee さんによりこのメールでパッケージのキャッシュが初めて debian-devel メーリングリストに紹介されたときと同じようなものです 。 5.2. 2002 年 11 月: Debian サーバ焼失 2002 年 11 月 20 日の 08:00 CET (中央ヨーロッパ時間) 頃、オランダ にあるトゥエンテ大学のネットワークオペレーションセンターで火災が 発生しました。建物は全焼しました。消防署はサーバエリアを救う望み     を諦めました。とりわけ NOC では satie.debian.org が運用されており 、そこにはセキュリティおよび non-US アーカイブと、新規メンテナ (nm) および品質保証 (qa) データベースが含まれていました。Debian はこれらのサービスを klecker という名のホストで再構築しましたが、 最近になって klecker はアメリカからオランダに移されました。 5.3. 2003 年 11 月: Debian サーバへのハッキング 2003年11月19日 17:00 UTC に4つのメインプロジェクトの web サーバー (バグトラッキングシステム、メーリングリスト、セキュリティと Web     検索)が被害に遭いました。侵入されたニュース. これらのサービスは点 検のために切り離され、幸いにもパッケージアーカイブは被害を受けて いないことが確認されました。来る11月25日、すべてのサービスは普及 され元通りオンラインに戻ることができました。 第6章活躍され亡くなられた方々への哀悼を捧げます 6.1. 2000 年 7 月: Joel Klecker さん逝去 2000 年 7 月 11 日、Espy のニックネームで知られていた Joel Klecker さんが 21 歳でこの世を去りました。#mklinux、Debian のメー リングリストや IRC チャンネルで 'Espy' と交流のあった人々で、この ニックネームの影にはデュシェンヌ型筋ジストロフィーという病に苦し     む若者がいるのを知っていた者はいませんでした。ほとんどの人々は Joel さんのことを「Debian の glibc と powerpc 野郎」としてのみ知 っており、Joel さんが闘っていた困難に想いがおよぶ者はいませんでし た。肉体的には病んでいましたが、Joel さんはその偉大なる精神を他の 人と共有していました。     Joel Klecker (別名 Espy) さんに心より哀悼の意を表します。 6.2. 2001 年 3 月: Christopher Rutter さん逝去 2001 年 3 月 1 日、Christopher Matthew Rutter (別名 cmr) さんが、     交通事故により 19 歳で命を落としました。Christopher さんは Debian プロジェクトの若く有名なメンバーで、ARM 移植版を手伝っていました 。buildd.debian.org のサイトをもって追悼を捧げます。     Chris Rutter さんに心より哀悼の意を表します。 6.3. 2001 年 3 月: Fabrizio Polacco さん逝去 2001 年 3 月 28 日、Fabrizio Polacco さんが長い闘病生活の末、この 世を去りました。Debian プロジェクトは、Fabrizio さんによる Debian     とフリーソフトウェアでの優れた作業と多大な献身に敬意を表します。 Fabrizio さんの貢献は忘れられることなく、他の開発者が Fabrizio さ んの業績を引き継ぐべく前進するでしょう。     Fabrizio Polacco さんに心より哀悼の意を表します。 6.4. 2002 年 7 月: Martin Butterweck さん逝去 2002 年 7 月 21 日、Martin Butterweck (別名 blendi) さんが、白血     病と闘った末、亡くなりました。Martin さんは Debian プロジェクトの 若いメンバーで、プロジェクトに加わったばかりでした。     Martin Butterweck さんに心より哀悼の意を表します。 6.5. 2004 年 5 月: Manuel Estrada Sainz さん、Andrés García Solier さ ん逝去 5 月 9 日、Manuel Estrada Sainz (ranty) さんと Andrés García     Solier (ErConde) さんが、スペインのバレンシアで開催されたフリーソ フトウェアカンファレンスからの帰途、痛ましい交通事故で命を落とし ました。     Manuel Estrada Sainz さんと Andrés García Solier さんに心より哀悼 の意を表します。 6.6. 2005 年 7 月: Jens Schmalzing さん逝去 7 月 30 日、Jens Schmalzing (jensen) さんがドイツのミュンヘンにあ る職場で発生した痛ましい事故により亡くなりました。Jens さんは Debian に参加して各種パッケージのメンテナ、PowerPC 移植版のサポー     ター、カーネルチームのメンバーとして活躍し、PowerPC カーネルパッ ケージをバージョン 2.6 に上げる手助けをしました。また、 Mac-on-Linux やそのカーネルモジュールのメンテナでもあり、インスト ーラや地元のミュンヘンでの活動を援助したりもしました。     Jens Schmalzing さんに心より哀悼の意を表します。 6.7. 2008 年 12 月: Thiemo Seufer さん逝去 12 月 26 日、Thiemo Seufer (ths) さんが交通事故で亡くなりました。 Thiemo さんは MIPS と MIPSEL 移植版の代表メンテナで、Debian 開発     者になる 2004 年よりもかなり昔から長い間 debian-installer にも貢 献しました。QEMU チームのメンバーとして Thiemo さんは MIPS エミュ レーションレイヤーのほとんどを書きました。     Thiemo Seufer さんに心より哀悼の意を表します。 6.8. 2009 年 7 月: Steve Greenland さん逝去 7月18日、Steve Greenland (stevegr) さんは癌のため亡くなりました。     彼は多くのコアパッケージ (cron 等)のメンテナであり、1999年から Debian に参加していました。     Steve Greenland さんに心から哀悼の意をを捧げます。 6.9. 2010 年 8 月: Frans Pop さん逝去 Frans Pop (fjp) さんが 8 月 20 日に亡くなりました。Frans さんは Debian に参加し、いくつかのパッケージのメンテナや S/390 移植版の     支援を行い、そして Debian Installer チームに最も関わったメンバー の 1 人でした。Debian メーリングリストの管理者で、インストールガ イドとリリースノートの編集者兼リリースマネージャであり、オランダ 語の翻訳者でもありました。     Frans Pop さんに心より哀悼の意を表します。 6.10. 2011 年 4 月: Adrian von Bidder さん逝去 Adrian von Bidder (cmot) さんが 4 月 17 日に亡くなりました。 Adrian さんは debian.ch の創設メンバーの1人であり書記でした。彼に     よる提案の多くは今の Debian Switzerland の原型となりました。また 、Adrian さんは Debian パッケージアーカイブにあるソフトウェアを積 極的に保守し、プロジェクトを代表して多数のイベントに出席していま した。     Adrian von Bidder さんに心より哀悼の意を表します。 6.11. 2013 年 5 月: Ray Dassen さん逝去 Ray Dassen (jdassen) さんが 5 月 18 日に亡くなりました。Ray さん は19年間、桁外れの Debian 開発者でした。プロジェクトには1994年に 参加し、亡くなるまで積極的な貢献者であり続けました。Ray さんは     Debian GNOME チームの創設メンバーの1人で、親切に快く支援する行動 は GNOME チーム内の協力する精神を育てました。Debian では、複数の パッケージ、特に目立つものとしては Gnumeric スプレッドシートのメ ンテナとして関わり続けました。     Ray Dassen さんに心より哀悼の意を表します。 6.12. 2013年 6月 Paul Cupis さんが亡くなりました。 Paul Cupis さんは 2013年6月17日に 32歳でこの世を去りました。彼は     2003年から Debian に参加し、 doctorj (Javadoc のコメント) やその 他のパッケージでメンテナPaul (cupis@debian.org)として活躍されてい ました。     Paul Cupis さんに心より哀悼の意を表します。 6.13. 2014 年 7 月: Peter Miller さん逝去 Peter Miller さんが 7 月 27 日に亡くなりました。Peter さんは Debian プロジェクトでは比較的新人でしたが、彼のフリー及びオープン ソースソフトウェアへの貢献は 1980 年代後半に遡ります。Peter さん     は GNU gettext への多大な貢献者であると同時に、他の上流のプロジェ クトでは例えば srecord や aegis、cook 等、Debian に収録されている ソフトウェアの中心的な作者及びメンテナでもありました。また、Peter さんは Recursive Make Considered Harmful 紙の著者でもありました。     Peter Miller さんに心より哀悼の意を表します。 6.14. 2015 年 2 月: Clytie Siddall さん逝去 Clytie Siddall さんが 2015 年 2 月に亡くなりました。Clytie さんは Debian その他のプロジェクトで長年ベトナム語翻訳に貢献しました。     Debian 内ではインストーラや dpkg、apt その他様々な文書を翻訳しま した。 GNOME コミュニティやその他多数のプロジェクトでも翻訳で貢献 しました。Clytie さんは 2005 年から 2007 年まで GNOME Foundation のメンバーでもありました。     Clytie Siddall さんに心より哀悼の意を表します。 6.15. 2015 年 12 月: Ian Murdock さん逝去 Debian プロジェクト及びそのコミュニティの創設者である Ian Murdock さんが 2015 年 12 月に亡くなりました。Ian さんは幼少の頃からコン ピュータに触れ、9歳の時から積極的にプログラミングを始めました。何 かをより良くしようという考えと機会を得て、1993 年 8 月、Debian プ ロジェクトを立ち上げました。当時は、Linux の「ディストリビューシ ョン」という概念自体が新しいものでした。Linus Torvalds 自身が Linux をシェアしたことに鼓舞された、と彼が言うように、このディス     トリビューションは開かれた、Linux と GNU の精神に則ったものにすべ きだという意志を持って Debian を発表しました。Ian さんの夢は Debian が開発を促進し、発展する不思議で強力なコミュニティで構成さ れるものになることでした。極めて積極的な数千の開発者が膨大な時間 をかけて作業し、信頼性が高く安全なオペレーティングシステムを世界 に届け続けています。Debian は何かをより良くしたいと考える人たちの 利害や好奇心、情熱を刺激してきました。それから、今も、そして未来 も続きます。     Debian 9 Stretch は彼に捧げられました。     Ian Murdock さんに心より哀悼の意を表します。 6.16. 2016 年 9 月: Kristoffer H. Rose さん逝去 Kristoffer H. Rose さんが骨髄線維症との長い闘病の末 2016 年 9 月 17 日に亡くなりました。Kristoffer さんはプロジェクトのかなり早い     段階から Debian 貢献者で、LaTeX パッケージの Xy-pic や FlexML 等 、複数のパッケージの上流の作者でもありました。彼が何年かプロジェ クトを離れた後に戻ってきたとき、ハイデルベルクで開催された DebConf15 での再会を多くのメンバーが喜びました。     Kristoffer H. Rose さんに心より哀悼の意を表します。 6.17. 2018 年 9 月: Innocent de Marchgi さん逝去 Innocent さんは数学教師でありフリーソフトの開発者でした。彼はタン グラムパズルに熱意を注いでおられ、その結果、タングラムを用いたゲ     ームを考案しました。そして、後に Debian でそのパッケージのメンテ ナとして貢献したにとどまらず、様々な場面で活躍されました。そのひ とつが疲れを知らないカタラン語の翻訳です。Innocent de Marchi さん に心から追悼の意を捧げます。 6.18. 2019 年 3 月: Lucy Wayland さん逝去 Lucy さんは英国ケンブリッジ Debian コミュニティの貢献者で、ケンブ リッジ Mini-DebConf の設立に従事しました。彼女は多様性と包括性の     強力な戦士で Debian 多様性チームの創設に参加し、あまり日の目を見 ないグループにスポットライトを当て、コミュニティ内の多様性に関わ る問題を敬意持って援助しました。Lucy さんに心から追悼の意を捧げま す。 6.19. 2020 年 6 月: Robert Lemmen さん逝去 Robert Lemmen さんは 2020年6月に深刻な病気のため他界しました。 Robert さんはミュンヘンの Debian 交流会に2000年代の初期から参加さ     れ地元のブースに貢献しました。彼は、2007年から Debian 開発者とな り、 Raku (当時の名称は Perl6) のモジュール編成に力を注ぎました。 また Debian の相互循環依存を探索することに奮闘しました。 Robert さんに心から追悼の意を捧げます。 6.20. 2020 年 6 月: Karl Ramm さん逝去 Karl Ramm さんは、転移性の大腸がんのため 2020年 6月に亡くなりまし た。彼は、2001年から Debian 開発者であり MIT プロジェクトの     Athena から多数のコンポーネントを編纂しました。彼は技術と Debian に熱意を注ぎ、他者の情熱を発見し活躍させる場を与える人でした。 Robert さんに心から追悼の意を捧げます。 6.21. 2021 年 1 月: Adam Conrad さん逝去 Adam "infinity" Conrad (以前は adconrad@d.o) さんは 2021年1月26日     に 43歳でこの世を去りました。 Adam Conrad さんに心から追悼の意を 捧げます。 6.22. 2021 年 4 月: Rogério Theodoro de Brito さん逝去 2021年4月、Rogério Theodoro de Brito さんは COVID-19 パンデミック のため亡くなりました。 Rogério さんは15年以上も Debian 貢献者であ り、小さなツールをプログラムするのが趣味でした。彼は他のプロジェ     クトでは Kurobox/Linkstationを Debian で使うための方策や youtube-dl ツールなどに貢献しました。彼はまた上流プロジェクトの「 Debian contact」に参加しました。 Rogério Theodoro de Brito さんに 心から追悼の意を捧げます。 6.23. 2023 年 9 月: Amraham Raji さん逝去     Abraham Raji さんは 2023年9月13日にカヤックの旅中に致命的な事故に 遭いました。 Abraham さんは有名で尊敬される Debian 開発者で、彼の故郷インドの ケララ州ではフリーソフトのチャンピオンとして知られていました。彼     は才能のあるグラフィックデザイナーで DebConf23 や地方の催し物で近 年デザインを指導したりブランド化を推進したりしました。彼は Debian プロジェクトでは新規貢献者に自分の時間を顧みず熱心に教え、インド 版の Debian Web の創設に携わりました。 Debian プロジェクトは、Abraham さんによる Debian とフリーソフトウ     ェアでの優れた作業と多大な献身に敬意を表します。Abraham さんの貢 献は忘れられることなく、他の開発者が彼の業績を引き継ぐべく前進す るでしょう。 6.24. 2023 年 12 月: Gunnar Hjalmarsson さん逝去 Debian 開発者のGunnar Hjalmarsson さんは2023年に他界しました。     Gunnar さんは言行の一致した非常に貴重な人で 2010年から Ubuntu の 国際化に務め、同時に Debian にも参加していました。彼は、Debian GNOME や文字入力(IME) チームのメンテナでした。     Gunnar Hjalmarsson さん (1958年10月6日生まれ、2023年12月20日没、 スウェーデン)に心から追悼の意を捧げます。 6.25. 2024 年 7 月: Peter De Scrijver さん逝去 2004年より Debian 開発者であり Linux カーネルのハッカーであった Peter 「p2」De Schrijver さんは 2024年7月に他界しました。私達の多 くが Peter さんは献身的で私達のプロジェクトやコミュニティにとって     とても有益な人だったと評価しています。Peter さんは世界中のミーテ ィングに参加し、顔なじみでした。彼の問題に対する専門知識やそれを 共有しようとする姿勢は高く評価されていました。彼に「何が起こって いるのか」と尋ねるとき、彼はしばしば時間を取り難解な技術的問題を 熟練したC言語訳者の視点から答えてくれました。 Peter の仕事ぶり、理想、驚くべき遺産の記憶は多くのコミュニティの     みならず、世界中の彼を知るものにとって彼を失ったことは大きな喪失 でした。     Peter De Schrijver さん (1970年9月17日アントワープ生まれ、2024年7 月12日フィンランド没) に心から追悼の意を捧げます。 6.26. 2024 年 11 月: Jérémy Bobbio さん逝去 Jérémy "lunar" Bobbio さんは、41歳の若さで 2024 年 11 月 8 日に亡 くなりました。Lunar さんは、とても活動的な Debian 開発者で、 Tor     プロジェクトに従事し、ビルド再現性ムーブメントの創始者のうちの一 人でした。この創設者たちは、フリーソフト計画において、創造的で思 慮深く聡明な活動家として記憶されていて、多大なインパクトを与えま した。 Jérémy Bobbio さんに心から追悼の意を捧げます。 6.27. 2025 年 1 月: Steve Langasek さん逝去 Steve Langasek さん、享年45歳アメリカ、ポートランド州在住は2025年 1月1日に、オレゴン健康科学大学病院にてこの世を去りました。彼は     2005年のDebian 3.1 sarge から、2007年の Debian 4.0 etch において 、リリース管理者のひとりとして活躍しました。Steve Langasek さん (1979年4月27日生まれ、2025年1月1日ポートランド没)に心から追悼の意 を捧げます。 第7章次は何? Debian プロジェクトは、不安定版ディストリビューション (コードネー ム sid。映画 Toy Story 1 より隣家に住む凶悪で「情緒不安定」な少年 から名付けられました。こんな子は、絶対に世の中に出すべきではあり     ません) で作業を続けています。Sid は永久に不安定版のコードネーム であり、常に「開発中 (Still In Development)」です。ほとんどの新規 および更新されたパッケージは、このディストリビューションにアップ ロードされます。     テスト版リリースは次期安定版リリースとなることを目指しており、現 在のコードネームは Trixie です。 付録A Debian 宣言     イアン・マードック著、1994 年 1 月 6 日改定 A.1. Debian Linux とは何か? Debian Linux はまったく新しい Linux ディストリビューションです。 今までに開発された他の Linux ディストリビューションのように限定的 な個人やグループが開発しているものではなく、Linux と GNU の精神に     則り、オープンに開発されています。Debian は、最終的に Linux の名 に恥じないディストリビューションを作り出すことを第一の目的として います。Debian は注意深く、また良心的にディストリビューションをま とめており、同様の配慮で保守・サポートしていく予定です。 Debian は、市場で十分な競争力を持ちえる、商用ではないディストリビ ューションを作り出す試みでもあります。ゆくゆくは Free Software Foundation が CD-ROM で Debian を配布するようになるでしょう。また Debian Linux Association は、印刷されたマニュアルや技術支援などエ ンドユーザに必要なものと一緒に、フロッピーディスクやテープによる 配布を提供することになるでしょう。上記のすべてが原価よりもわずか     に高い金額で入手できるようになり、そのわずかな原価超過分を使って 、すべてのユーザのためのフリーソフトウェアをさらに開発していくこ とになるでしょう。このようなディストリビューションは、市場で Linux オペレーティングシステムが成功するのに欠かせません。また、 十分に先進的な位置にあり、利益や配当の圧力を受けることなくフリー ソフトウェアを広めようとしている組織によってなされなければなりま せん。 A.2. なぜ Debian を作成するのか? Linux の未来にとってディストリビューションは不可欠です。ディスト リビューションを利用すると、ユーザはうまく稼動する Linux システム を組みあげるために必要な、大変な数のツールを探し出してダウンロー ド、コンパイル、インストールしてシステムとしてまとめあげる作業を せずに済むようになります。代わりに、システムを構築する重荷はディ     ストリビューション作成者が背負います。ディストリビューション作成 者がした作業は、何千もの他のユーザと分かちあうことができます。大 抵の Linux ユーザは、ディストリビューションを通して Linux なるも のの最初の感触を得るものです。また、多くのユーザが、このオペレー ティングシステムに慣れてからも、便利さを求めてディストリビューシ ョンを使いつづけるでしょう。つまり、ディストリビューションは本当 に大変重要な役割を担っているのです。 ディストリビューションが明らかに重要であるにもかかわらず、開発者 達はほとんど注意を払わずにいます。単純な理由によります。ディスト リビューションの構築は易しくもないし、魅力的でもないからです。ま た、ディストリビューションのバグをとり、最新の状態に保つために、     作成者は継続的に大変な努力を強いられるからです。0 からシステムを 組みあげるのとは全く別物です。つまり、システムが他人にとってイン ストールしやすく、多様なハードウェア構成にもインストールして使用 でき、使いでがあると人を唸らせるソフトウェアを含み、構成要素その ものが改善されたときにアップデートできることを保証するということ なのです。 多くのディストリビューションがかなりよいシステムとして発表されま した。しかし、時が経つにつれて、ディストリビューションの保守から 次第に関心を失い、二の次になってしまいます。そのよい例が、 Softlanding Linux System (SLS の略称で有名) でしょう。恐らくもっ     ともバグが多く、保守もほとんどなされなかったディストリビューショ ンです。残念ながらこのディストリビューションは、恐らくもっとも多 くの人に使われた物でもありました。まぎれもなく、これは多くの配布 業者からいちばん注目されてしまったディストリビューションだったの です。これらの業者は、このオペレーティングシステムが世に広まって 行くのに便乗していることを露呈してしまいました。 これはまったくひどい組み合せです。この手の配布業者から Linux を得 る多くの人が、バグが含まれている上に保守もされない Linux ディスト リビューションを受け取ってしまうのですから。これだけでは悪行し足 りないかのように、こういった配布業者には、自分達の製品の中の動か なかったり極めて動作が不安定な機能について誤解を与えかねない宣伝 をすると言う困った傾向がありました。このような状況と、購入した人 はその製品が宣伝に違わぬできだろうともちろん予想することと、多く     の人がその製品が商用のオペレーティングシステムだと信じている (Linux がフリーであることや、GNU 一般公衆利用許諾に従って配布され ていることに言及しない傾向もありました) かもしれないことを考えあ わせてみてください。なおその上に、これら配布業者は、より多くの雑 誌で派手に広告を出してもかまわないだけの金を努力して実際に稼ぎ出 しています。単にあまりよくわかっていないだけの者が、容認できない 行動を助長してしまうという古くから見られる事例が見てとれます。あ きらかに、この状況を改善するために何か手を打つ必要があります。 A.3. Debian はこれらの問題に終止符を打つためにどのように努力するつも りなのか? Debian の設計過程は、オープンです。システムが最高の品質を持つこと と、ユーザの共同体の要求を反映させることを保証するためです。能力 と背景に広がりがある他人を巻きこむことで、モジュール化して Debian を開発することが可能になりました。ある分野の専門的知識を持つ者が 、その分野を含んでいる Debian の個々の構成要素を開発したり保守し     たりする機会が与えられるので、その構成要素の品質は高くなります。 他人を巻きこんだことで、改良のための価値ある助言が開発を通してデ ィストリビューションに含まれて行くことも保証されます。そのため、 どちらかというと作成者の要求や欲求よりもユーザの要求や欲求を元に ディストリビューションは作成されます。一人の個人や小グループでは 、直接他人から情報を得なければ、このような要求や欲求を前もって組 み入れることはかなり難しいものです。 Free Software Foundation と Debian Linux Association は物理媒体で も Linux を配布する予定です。これによりインターネットや FTP を使 わなくてもユーザに Debian を提供できます。また、システムのすべて の利用者が印刷された手引き書や技術支援などの製品やサービスを広く     入手できるようにすることもできます。このやりかたなら、Debian はた くさんの個人や組織で使用されるでしょう。収益や配当を得ることでは なく、一級の製品を供給することに焦点をあてています。そして、製品 やサービスから生じた利潤は、対価を支払ってソフトウェアを得たかど うかにかかわりなく、すべての利用者のためにソフトウェア自体を改良 するために使われるでしょう。 Free Software Foundation は Debian の将来にとって大変重要な役割を 果たします。Free Software Foundation が Debian を配布するという単 純な事実によっても、Linux が商用の製品ではなく、今後も決してそう     はならないこと、しかし Linux が商業的な競争に決して勝てはしないと は意味しないことを世に知らしめることになります。同意しない人は、 GNU Emacs と GCC が成功していることを理由付けしていただきたい。こ れらは商用の製品ではありませんが、商用であるかどうかにかかわらず 市場に甚大な影響を与えてきました。 Linux 共同体全体とその未来に迷惑をかけて自分が裕福になるという破 壊的な目標を目指すかわりに、Linux の未来に集中するときがきました     。Debian を開発し配布しても、この宣言で概略を述べた問題への回答と はならないかもしれません。ですが、少なくとも、これらの問題が解決 すべき問題として認められるくらいには Debian を通して注意を引きた いと望んでいます。